活字中毒者が出来るまでについて


 私が一日中、テレビを観るなんて一年に一回もあるだろうか?。一日に一時間も観ればいい方で、それもニュース番組だけ。たまに洋画を観るけれど、その場合は字幕のやつしか観ないので、観るというよりは読んでいると言った方が正解かもしれない。キムタクをキムチたくあんの略だと勘違いして友人知人に大笑いされたり、SMAPをエスマップと読んでみたり、テレビを観ない故に非常識だと言われるが、テレビを観たくないのだから致し方ないと開き直っている。だが、最近『何でそんな風になったと?何が切っ掛けで本を読むようになったと?』と周りの方に聞かれる事が多いので、自分自身の過去を考えてみる。


 記憶には残っていないが母から聞いた私の幼少時の話。

 私が三歳の頃、母は妹を身ごもった。だが、母の子宮内に着床した卵が正常な場所に着床せず、出産寸前まで絶対安静の寝たきり状態になったそうな。遊びたい盛りの私を外に連れ出す事の出来ない母は、近所の人や友人から絵本を沢山貰いうけ、日がな一日、布団の上で読み聞かせをしていたそうな。それが延々、数ヶ月続いた。朝から晩まで絵本だけが愉しみの私は、家にある絵本の全文を暗記し、布団に寝ている母に読んで聞かせる(字は読めないので暗唱ですな)ようになったそうな。この当時、読んで貰っていた本で覚えているのは『羅生門』『蜘蛛の糸』『東京の動物園で餓死させられた象の話(戦争中の話)』『アリとキリギリス』などなど・・・。今、考えたら幼児に読み聞かせる本じゃ無い気がするが、読んで貰った本のジャンルはまぁ、気にしない事にしよう。兎に角、母にそのつもりは無かったのだろうが、結果的には活字中毒者を作る為の星一徹的教育英才教育(?)だったワケだ。
 その後、母が出産を終えてからも私の絵本好きは変わらず、小学校に上がってからは、図書館に入り浸るようになる。ここで出会ったのが外国の翻訳児童書だった。家にある絵本は恐ろしいし、怖い物語ばかりだったので、図書館の楽しい、ハッピーな内容の本に魅了された。そして小学校三年生で運命の出会い、コナン・ドイル著の『シャーロック・ホームズの冒険』のジュブナイル(児童向け)を誕生日のプレゼントとして買い与えられたのだ。この本をはじめて読んだ時は衝撃を受けた。文字を紡いだだけでこんなにも面白い、楽しい世界があるのかと狂喜乱舞したのだ。そして本の中に書き込まれているイギリスという見知らぬ国の文化を知る喜び。ホームズが自分の手足として浮浪者の子供たちを使うシーンなどドキマギしたものだ。子供が浮浪者で生きていくって何で?!と驚いた記憶がある。後年知ったのだが、あの子供の浮浪者たちはアイルランドから渡ってきた人々の子供だと知り(じゃがいもが枯れて飢饉があったそうな)、推理小説といえども、時代背景はしっかり書き込まれていたのだなと二度、感動する事になる。要は、この本1冊で小説の愉しみを覚えた事になる。
この当時は、一生抜け出せない禁断の道に足を踏み込んだとは、知る由もなかった。


その翌年、ホームズ物は児童書だけじゃ無くて、大人向けの文庫本がある事を知る。勿論、すぐさま買って帰り読もうとするが、昔の文庫本は漢字が難しかったのだ。バスカヴィル家の犬に何度も出てくる『咆哮』という字が昔の難しい漢字で読めない。ジレンマに陥る。母に読めない字の読み方を聞きに行っていたら、教えるのが面倒な彼女は辞書の引き方を私に教えてしまう。この辞書を引くという行為が活字中毒を益々悪化させる事になるのに。私は読む本が無くなったら辞書を見て一日を過ごしたのだよね。家族には気味悪がられたな。


 その後はご想像通り階段を転げ落ちるように症状が悪化し、ミステリ、SF、サスペンス、怪奇幻想文学、時代小説、ハードボイルへジャンルが伸び、現在に至る。
 自分の事を振り返り、本を読む人と読まない人の違いって何だろうか?と考えるに、幼い頃の読み聞かせが要因じゃないかという気がする。私自身、あの読み聞かせが無かったら、ここまでの活字好きにはなっていないような気がするのだ。妹も本を読むが一年に数冊程度しか読まないので、読書好きと言えるほどではない。読み聞かせをされた私は活字好きに、されなかった妹は普通に育った事になる。本を読む私と読まない妹と、どちらが幸せなのだろうか?。神のみぞ知る・・・なんだろうな。

追記・・・私は完全なる左利きだ。でね、ネット上でお知り合いになった某Pさんも左利きなんだそうな。彼女も重症の活字中毒者なのですよね。左利きと活字中毒者との因果関係を知りたいが、データが無い。活字中毒者の方々!貴方の利き腕はどちらですか?。
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