先月から気になっていて毎日、新聞報道を追っている事件がある。
先月にはこの日記を書き始めていたが自分の想いなど書いても無意味だろうと書かずにいた。
だが、今日の西日本新聞の報道を目にして怒りは爆発した。
熊本県小国町の温泉ホテルによるハンセン病元患者の宿泊拒否問題の追加報道だ。
”化粧品会社アイスター”のHP上に宿泊拒否は当然の処置だ。この主張は現在も何ら変更は無いと改めて
この拒否問題を正当化する文書が掲載されているというのだ。
ビックリした。自分の目でもHPを確かめた。
本当に載っているではないか!。
一度は頭を下げたこの会社は騒動が収まった今前言を撤回したというのか?。
一体、この会社はどういう会社なのか?。
ホテルの正式名称は「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」という。
人権侵害者にとっての宮殿なのだろうか?。
だが、私もこの”元ハンセン病患者”さんについて知ったのは、つい最近の事だ。
前々から思っていたが無知とは恐ろしいと実感させられた。
2001年に国家賠償請求における原告「完全勝訴」という報道を目にして”元ハンセン病患者の国家賠償請求とはなんだ?”と、
疑問を持ち、図書館に走った事から私の関心は始まった。
その時は二時間しか時間が無いので(駐車場が)さっさと目を通して帰るつもりでいた。
山のようにある本の中から手記と思われるものを手に取り、近くの椅子で読み始めた。
数ページで涙が出てくる。あまりに酷い内容だ。
このまま読み続ける事は困難だと、その場で数冊を借りて帰った。
ご存知の方も多いとは思うが読んだ内容を下記に記したい。
ハンセン病:らい菌による慢性感染症。
末しょう神経や皮膚が侵されるが、感染力は極めて弱い。かつては遺伝病と考えられ「業病」「天刑病」と呼ばれた。
戦後になって治療薬が普及、治る病気となった。
現在、国立十三、私立二の療養所に約四千四百人が生活するが、ほとんどが治癒している。
ある元患者さんは幼い頃から家に閉じ込められていたそうだ。兄弟姉妹は学校に行く事もできず家族は村八分にあっていた。
家の奥の一室だけが彼女の使える場所で家族への感染を恐れひっそりと生活していた。
ある日、警察官と保健所の職員が家に押しかけて来る。
”無らい県運動”なるものが始まり官民一体となってハンセン病患者を掻き集め、全国五箇所に出来た公立療養所
なる強制収容所に収容される為に彼女は連れ去られたと言うのだ。
泣き叫び、わが子を返してくれとすがる母親は無視された。国が採っている政策なのだから抗えるはずも無い。
この”無らい県運動”のスローガンは民族浄化だったそうだ・・・。
ある人は自分から家を出て、自ら放浪する道を選んだ。
兄弟は教育を受ける事も出来ず、姉は離縁され家に戻ってくる。家族の不幸は自分のせいだと自ら放浪する道を選んだそうだ。
ある人は家族に土下座され頼まれたそうだ。
「このままでは、家族全員が死を選ぶ事になる。どうか、家を出てくれないか。名前を捨ててくれ。二度と家が有ると思ってくれるな」と。
この”放浪らい”と呼ばれる人たちも強制的に上記の療養所に収容される事になる。
強制的に療養所に連れてこられた七歳の子は初日に”通称はなんにするか?”と問われたそうだ。本名で暮らす事は家族への差別へと繋がるので沢山の人が別名で過ごしていた。
そして、書類に拇印を求められた。
その書類は死後、解剖に承諾する為のものだったのだ。
七歳だ。たった七つの子に死後に行う死体処理の話をしたというのだ。早く治り親元へ帰ることを願う子に死の話をしたのだ。
イヤだと言うと職員は言った。
「死んで腹を引き裂かれても痛くは無いぞ」
この解剖承諾書には小さな小さな親指の拇印が押されたのだろうと想像しただけで胸が掻き毟られるようだ。
療養所とはいえ、かなり苛酷だったそうだ。
職員の数は充分ではなく、軽症の患者さんが重症の患者さんの介護をさせられていたそうだ。
それだけではない。入所者には労働さえあったというのだ。
末梢神経を冒すこの病気に傷は命取りになる。
痛みを感じないために、釘を踏み抜いたり手にとげが刺さったりした事に気づかず気が付いた時には、
指や手や足を切断するまでに悪化していたというのだ。
国が予算を渋る事無く、満足のいく治療を受けていれば、手足を失わずに済んだ方が多数いらっしゃるのだ。
この方たちに残された後遺障がいを見て「気持悪い、一緒に入浴はイヤだ」と誰に言う権利があるのだ?!。
ひょっとしたら私が味わった事かも知れぬし両親や祖母だったかも知れぬのだ。
1953年(昭28)に、らい予防法が制定されたのだが、1943年にはプロミンが画期的な治療薬だと判明しており、
不治の病では無くなっていたのにだ。
その上、この法律はつい最近の1996年まで存在しいたというのだ。平成8年だ!。
なんて事だろう・・・。
この悪法”らい予防法”が施行されている間に23000余人が亡くなったそうだ。
私が驚いたのは、この悪法が実行されていたその時には、既にプロミンなる特効薬が開発されていたという事実だ。
アメリカで発見された特効薬を日本で使用するまでに何年もかかっている。
太平洋戦争真っ只中だったからだ。
戦争終了後も国からの予算が下りぬ為に療養所内で選抜されたごく一部の方だけがプロミンを処方されたらしい。
選に漏れた方々が抱いた気持ちを思うと辛い。目の前で今まで仲間だった人が見る見るきれいに治ってゆくのだから。
国は厚生省から求められた予算6000万を渋り1000万しか出さなかったのだ。
このタイムロスの間にも亡くなられた方が多数、いらっしゃる。
魔法のように治る薬なのに、それが解っていて何故この悪法が平成八年までも続いていたのだ?。
疑いがあるだけで、強制的に収容させ、拘束し続けることが出来るこの法には外出禁止の記述まであった。何が予防法だ
強制収容所ではないか。
その上、療養所内で結婚する人には非合法で、断種・堕胎が行われたという。
断種など言葉が生ぬるい。去勢だ。人間が人間に行う事だろうか?。
あるお母さんは六ヶ月を過ぎてから手術を強要されたらしい。もう既にリッパに顔立ちが分るほど大きくお父さんにそっくりの赤ちゃんだったそうだ。
これを殺人と呼ばずに何と呼ぶのだ?!
皆が特効薬により完治したその後も続けられたらしい。
断種しなければ、男女が一緒にいる事さえ禁止され、結婚しても二人の子供さえ作れなかったのだ。
(十日訂正・初期は非合法だったが最近は優生保護法により合法で1992年まで法の下に断種・堕胎が行われていた)
日本で療養所なるものが出来て90年の間お世話をする職員の方には誰一人として感染していないそうだ。
らい菌は非常に感染力の弱い病気で栄養状態の良い日本では皆無に近いそうだ。
万に一つの確率で感染したとしても完治する病気なのだ。
インフルエンザで毎年、かなりの人が亡くなっている事を考えると”らい菌”を恐れる事がいかに無意味かと思わせられる。
まして”一緒に入浴したくない”等、発言する人間の良識を疑う。
このホテルへ宿泊拒否に賛成する電話が殺到したらしいが恐ろしい事だ。
ただ病気に感染しただけで、強制収容され自由を剥奪され、完治したその後も多くの人の誤解の上で迫害は続いている。
この日記を書いている今、小泉首相が記者会見を開いている。
イラクの自衛隊派遣についてだ。
自国の国民の人権も守れぬ国が何が人道支援だ。
政府がこの宿泊拒否問題に対してハッキリコメントしない事にも怒りが湧く。
まだ沢山の裁判が終っていないので国としてのコメントも出来ぬのだろう。
そして、医学界にも怒りを感じる。
医者ならば、国に問いかけこの悪法を無くすべく尽力する立場だったのではないか?。
医者は90年もの間、見て見ぬふりをしたのか。
こんなにも長くなってしまったが書いても書いても書ききれない。
つたない私の文章では言いたい事の十分の一も伝わらないだろう。
(数冊の本を読んだだけなので詳しい方から見ればアラも多いだろう。教えて下さい。訂正します。)
熊本の新聞が詳しい記事を載せているのを発見した。
ここ